南岸エリア

南岸エリアは過去を振り返る場所です。慰霊壁は、日当たりのよいオタカロ(エイボン)川の湾曲部に沿い111メートルにわたって延びています。  

この高さ3.6メートルの慰霊壁と川の間には、ベンチやカエデの木のある階段付きテラスがあります。南岸エリアは、川の水位の変動にも対応できるように設計されています。

 

支援・協力者への感謝

負傷者の多くはボランティアの方々の救助や支援を受け、被災者への献身的なサポートはその後何週間にもわたって継続されました。ファーミー・アーースチューデント・アーミーといった団体の組織的な支援活動(液状化した堆積物の除去、食事の提供、損壊した家屋の修繕など)と共に、隣人、友人、家族らの臨機応変な支援・対応が見られました。

地震の直後、民間防衛緊急事態管理庁の指示によって600名近くもの緊急サービス要員が救援活動に派遣されました。ニュージーランド全国から集まったエキスパートのほか、オーストラリア、英国、米国、日本、台湾、中国、シンガポールからも救助隊員が駆け付けました。

ニュージーランド国防軍は国内最大規模の救援活動を展開し、ニュージーランド赤十字社、救世軍といった各種団体が人道的支援を行いました。

故人をしのぶ

2月22日の地震で命を奪われた185名は、たまたまクライストチャーチに居合わせた、あるいは普段どおりの生活を送っていた人たちでした。それは地元の人や来訪者にとって忙しい時期であり、心地よい夏日だったその日の午後12時51分当時、人々は、仕事や勉学、買い物、友人との昼食、散歩など、いろいろな事をしていました。

地震は何の前触れもなくこの地を襲い、乳児からお年寄りまで、さまざまな年齢層の人々の命を奪いました。繁華街、郊外、周辺地域で亡くなられた方々の実に半数近くが、就労のため、または留学、休暇で訪れていた外国人でした。  

あの日、かけがえのないものを失った影響は、当地の地域社会だけでなく、ニュージーランド国内外でも、いだにいています。

地位・立場、世代、出身地の異なるあらゆる人々に思いを馳せ、メモリアル体験を通じてその包括性を共有できれば幸いです。亡くなられた方々を追悼し、あの日の惨事によって人生が永久的に変貌した々の労苦をねぎらいます。

亡くなられた方々のほかにも、クライストチャーチ病院では重傷者220人以上、軽傷者約6,500名が治療を受けました。

慰霊壁

ご名の配置

慰霊壁に沿い40メートルに及び大理石のパネルには、2011年2月22日の地震で亡くなった方々のご芳名が刻字されています。

185名のご芳名は、すべてご遺族のご希望通りに英語表記され、英語以外の母国語をつ方の場合はその言語(日本語、中国語、韓国語、タイ語、ヘブライ語、アラビア語、セルビア語、ロシア語のいずれか)も併記されています。

ご芳名の配置はご遺族の要望を基に決定されました。 家族、夫婦、友人、同僚、クラスメート、同じ国の出身者の名前を一箇所にまとめて壁に刻字してほしいとの要望が多数寄せられました。また、そのような関係になかった方々については、ご芳名を無作為に配置し、手当たり次第に襲う地震の被害の有様を象徴するようにしました。

追悼・感謝の言葉

壁面にはご芳名のほかにも、地震の影響の甚大さを表現すると共に、亡くなられた方々をしのび、重傷者や生還者をいたわり、支援・協力者に感謝を述べる言葉が刻字されています。

(原文は2月22日以降に掲載の予定)

広義の被害・影響を振り返る

地震による直接的な精神的外傷に加え、その後2年間にわたって11,000回以上も続いた余震は、地域社会に甚大な心理的ストレスを与えまた。震災後、クライストチャーチを離れた住民の数は約1万人に上ると推定され、人口が震災前の水準に戻ったのは2016年になってからでした。

建物への深刻な被害は、郊外を含むクライストチャーチ全域を一変させました。広い範囲にわたって住宅地が「レッドゾーン」(短~中期的に居住に不適当と見なされること)に指定され、5,000軒以上もの家屋が取り壊されたほか、中心街ではクライストチャーチ復興計画の下、重要地区や主要開発プロジェクトを伴う再設計が進められています。

学校、教会、スポーツ/コミニティ/文化ンターなどの損壊も、カンタベリー地域住民の生活に悪影響を及ぼしました。

緑岩

メモリアルの入り口には、緑色岩(kōhatu pounamu、グリーンストーンともいう)が置かれ、メモリアルが重要な場所であることを示しています。これはナイタフ部族から寄贈されたものです。マオリ族の間では古くから重要な場所の入り口に緑色岩を置く伝統があります。この石に触れる“儀式”を通し、来訪者は土地とつながり、同じ場所を過去に訪れたすべての人々と結びつくことができます。

この緑色岩は、南ウエストランド山地でナイタフ部族の代表者らが厳選し、空輸さたもので。

色岩が安置されているカララ大理石の土台には、ナイタフ部族出身のベテラン彫刻家、フェイン・ロビンソンさんがサンドブラスト工法を用いて3種類のデザインを施しました。

温かな日の光を浴び、雨に打たれること、その外観は時と共に変化していきます。この岩はいつまでも、この土地と人々の深いつながりを、目に見える、美しい形で思い起こさせてくれることでしょう。